数字ドリブンで提案をいただく中で、ふと「私たちは数字というものに、少し過度な幻想を抱いてしまっているのではないか」と感じることがありました。

もちろん、数字やKPIが有効に機能する場面はたくさんあります。たとえば、事業の仕組みが十分に整理できていて、その数値を追うことで着実に道が開けるという確信がある時。あるいは、特定の領域で局所的に数値を追いかける場合なら、それは非常に強力な武器になります。

また、数字は経営の現状を客観的に捉え、冷静に確認するための「ものさし」としても欠かせません。かなり距離を置いて、一つの判断材料として見る分においては、とても信頼できるツールだと思っています。

ただ一方で、数字を信じて突き進んだからといって、必ずしも売上が保証されるわけではない……というのもまた、一つの現実ではないでしょうか。

(注)もちろん、KPIが「人を動かすための方便」として機能する場面はあります。たとえば、営業活動やコンテンツ制作などを圧倒的な物量で押し切る際、チームの足並みを揃えるための「テコ」としてKPIを活用する場合です。その結果、他よりも数倍の行動量を引き出せたなら、成功の確率は自ずと上がります。ただそれは、「数字そのものが魔法をかけた」というよりも、数字をきっかけに生まれた「人のエネルギー」が結果を変えたのだと思うのです。「数字さえ追えば成功が約束される」という信仰とは、少し切り離して考える必要があるのかもしれません。

ここで、一つ大切にしたい補足があります。私は「ファクトを小さく積み上げて改善していくこと」を否定したいわけではありません。むしろ、それこそが事業活動の本質であり、最も重要なことだと考えています。

特に、AIで高速にプロダクトを作り、1日で検証ができるような現代において、現場で起きる生々しいファクトと向き合い続けるスピード感は不可欠です。私が問い直してみたいのは、そうした実像よりも数字に振り回されてしまうこと。そして、「数字を取り扱うというモデル化」という過程で、多くの大切な要素が削ぎ落とされていることに気づかないまま、その不完全な枠組みを正解だと信じ込んでしまう危うさについてです。

結局、私たちが向き合うべきなのは、物事には「予測可能性が高いもの」と「予測可能性が低いもの」があり、その両方をどう取り扱うか、という問いではないでしょうか。

「モデルとは、そもそも現実の一部を削ぎ落とした、不完全な代用物である」。この本質的な特性をつい忘れて、本来は「予測できないはずの領域」までもが数字の中に収まっているかのように錯覚し、多大なリソースを投じてしまう……。そのことのリスクを、一度立ち止まって考えてみたいのです。数字という型に当てはめた瞬間に、現場の生々しい手触りや細やかな解像度は、どうしても失われてしまいます。その避けられない現実を、まずは受け入れることが大切だと思うのです。

世の中の進歩が今より穏やかで、物事がこれほど複雑ではなかった時代なら、シンプルな数字の枠組みでも十分に機能していたのかもしれません。また、今でも数値化が有効な領域は確かに存在します。けれど、特に変化の激しいマーケティングの世界で、既存のフレームワークをなぞることにエネルギーを使い果たしてしまうのは、少しナンセンスな気がしてしまうのです。

数字やモデルを扱う時には、「何が予測できて、何が予測できないのか」を意識してみる。そして、「数字ドリブン」という名のモデル化は、どうしても現実の解像度を大幅に落としてしまうという前提のもとに、適度な距離感で扱ってみると良いのかもしれませんね。